神野新田のアザ割
イ ロ ハ ・・・ を使ったアザ割は、毛利新田のアザ割に用いられていたが、神野新田も牟呂村に所属する地区に採用された。 大崎村と磯辺村に所属する地区は漢字名が使われた・

▶ 字の詳細図

 吉田新田(毛利新田)を改称する必要があると、牟呂村は明治28年6月14日、大崎村は同月21日、磯邊村は同月22日をもって各村会を開き、多数の賛同を得て名称を神野新田にすることで可決した。

 このことを受け各村より直ちにその筋に出願し、総てが認可され、以後は吉田新田の名をやめて、神野新田と呼ぶことになった。

 又、当新田は総面積1千100町歩と広大であるため、一般的に考えれば少なくとも管理上は数十区に分割する必要があるので、多くの人の意見をふまえて次のように区分した。

  牟呂村所轄  イロハ48文字をもって48字に区割りする、外に字会所前

  磯部村所轄  宮前、品井潟、中道東、水神下、中洲、江縁の6字に区割り

  大崎村所轄  沖ノ島、中ノ島の2字に区割り

神野新田紀事から引用


▶ 字(アザ)の表記について

 ・二回新田の正式住所表記は昭和25年3月14日から字(アザ)が必要になった

 ・五郷のメノ割から京ノ割の正式な住所表記に字(アザ)が必要になったのは昭和27年73月18日から

 ・三郷のイノ割からユノ割の正式な住所表記に字(アザ)が必要になったのは昭和27年7月15日から

 

二回新田

五郷


三郷


 ・明治37年発行の「神野新田紀事」では字(アザ)が書かれているが表記は不要だった

 ・なぜ同じ神野新田なのに時期が違うのか?


▶ 字の動画と字の場所検索

神野新田アザ割(▶ 再生してください)

アザから現代の地図を検索

jinno、神野新田


▶ 会所前の「会所」の意味

 ・新田の管理・運営する所が「会所」と言われていたので、神野新田事務所のある所が「会所」となる

 ・大阪の「鴻池新田会所」からの下記資料(1~8)、「会所」は江戸時代から一般的に使われていたよう

 ・ここをクリックすると、下の資料のソースにリンクします

 参考:吉田新田(毛利新田)時代の字(アザ)

▶ 吉田新田(毛利新田)の字割の詳細は下の画像をクリック


▶ 吉田新田(毛利新田)で割り振られていたイ~ヌの場所を推測してみた

 ・吉田新田はイ~ヌの10と大きく分けていた(神野新田が吉田新田の字割の順を参考にしたと推察する)

 ・イ~ヌが全て1番地となっているが、将来はどのように別けていくつもりだったのか

  (1番を2番とか3番に小分けしないのなら意味がないように思えるが)

 ・新田事務所の建物の様に1番の下3桁の番戸のように分けるつもり?