・毛利新田の崩壊から学び、神野新田をどのように作るかを検討した
・堤防の縮小と形を変えて西からの波濤に耐えるようにする「甲の説」と、毛利新田と同じ形状にするが
堤防を人造石で覆って堅固に作る「乙の説」があり、最終的には「乙の説」が採用された
・堤防の縮小と形を変える「甲の説」がどのようなものかをシュミレーションしてみた
甲の説の主張内容
・旧堤防は大手長が長過ぎて到底永く維持できるとは考えられないのと、
土地が広く堤防に進むにしたがって地面が低下しており、そこに溜まり
水が常に残っていて良い田にはなり得ない
・区域を縮小し、第三号堤防の延長1,230間の内、その西端の150間を切り
捨て、第四号堤防の位置を移して、第三号の一端より、東北明治新田の
八間川の川先に達するように築堤して第五号堤防を放棄するべきだ
・毛利の時と同じように築堤すれば、豊橋以下の悪水を排水するためには、
桶門5ヶ所、また第五号堤防にも桶門2ヶ所が必要になり、かかる費用も
少なくない
・反別を減縮して築堤すれば、大手の方向に於いて、西風を避けられ堤防も
強固となり、永遠に維持もでき全て良い田のみとなり、好都合である
左図の赤い部分が甲説の開拓地で、画像をクリックすると拡大表示します