農事試験場
塩分が残る土地に適した農作物の選定や工作技術のアップのため、農事試験場が作られ住民を指導した。

 ・農事試験場(しけんじょう)と立派なものを想像したが、現在は試験場事務所等の跡はない

 ・今も名が残る試験場(しけんば)のことだと思われる


▶ 神野金之助重行より

 農事試験場を設けて神殿に於いて容易に応用し得べき簡易なる施策を行い、新米の小作人に様式模範を示すことの急務にると認め、明治39年、二毛作、水田9反歩、畑1反3畝歩の地を割して試験場に充当した。

 この試験場は農事試験場の技師の監督下に農林学校出身者を招いて、稲、麦、菜種、紫雲英などの施策に当たらしめた

 然る所この施設は初期の目的以上に小作人の奮励心を喚起し、農事の発展に資する所、すこぶる多く、これが設置の目的は十分に達成せられたので、明治44年に閉鎖さるるに至った。



▶ 農事試験場の場所

 ・圓龍寺の用水路の南側道路を西に行った所の23号線の下(地図の赤丸辺り)が「シケンバ」と呼ばれていたと

  2022.10.21の展示会で聞いた

 ・新田の中央に作ったとあるが、用水路が近くここなら該当するし、塩田も近く塩気のテストにうってつけ

 ・試験場は「シケンジョウ」ではなく、本来は「シケンバ」と呼ばれていたと思われる