神野尋常小学校

▶ 神野新田開拓百年記念誌より

 私立神野尋常小学校は、「神野新田」に詳述されているが明治29年(1896)5月1日ソノ割7番に開校し、6年後の明治35年3月廃校となった。

 写真の教科書類は、神野小学校において使われたもので、現在の神野新田町二回の伊藤八十八の祖父伊文左工門が所有していたものである。神野学校」の名も明記されているが、神野小学校に関する資料がほとんどない現在では、極めて貴なものである。

 なお,この資料には「夜学会」とあるが「神野金之助重行一伝には「青年輩の自修教養を促す事の必要を認め、明治42年、新田内の中央部に一会場を建築して、一部を教員の住宅に供し、以て小学教員の宿泊を請ひ、農事の暇を利用して夜学会を開いた」と書かれている。


▶ 当時の教育方針(1~4年生が義務教育)


▶ 豊橋百科事典より

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   牟呂尋常高等小学校は現在の牟呂小学校です

ソノ割の位置

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▶ 神野尋常小学校の写真とストリートビュー

小学校の写真は神野新田開拓百年記念誌より


・圓龍寺山門から川を超えた道路から東を見ている

・この当時は圓龍寺の塀はまだなかった

・小学校は駐在所の辺りと思われる

・当初の用水の堤防は土なので川幅が広い



▶ 尋常小学校の場所(現在の駐在所の辺りに作られた)

 ・牟呂の教育 百年のあゆみ より


▶ 尋常小学校の場所

 平成5年(1993)時点で、唯一「神野尋常小学校」に通った方の証言で

    「神野小学校は圓龍寺の隣にあった」とあります

   現在の駐在所がある場所です

      ・神野新田開拓百年記念誌p.136に書かれてます

      ・左の画像はクリックで拡大します


参考:五号は明治45年4月に学区編成替えで吉田方となった(雨の日の低学年通学援助)