▶ 神野・富田(紅葉屋財閥)主要メンバー
▶ 昭和15年まで
▶ 昭和15年から昭和38年(神野新田に関することのみ)
昭和16(1941)
8月 1日 神野報恩会設立(皇紀2600年式典参列を記念して)
9月 11日 豊橋川魚問屋解散
畜力除草機使用方法を石部太之助宅で実地指導、依頼普及し並木植に変わる
脱穀は石油発動機を利用し、籾摺調整は業者に依頼して行う
昭和17(1942)
8月 神野新田で共同田植を行う
12月 豊橋市内15の産業組合は統合して豊橋市農業会となるため、三郷公会堂に決議をなす
農村電化設備五郷部落に完成
本年の配分率(地主33%、肥料代17%、小作分50%)、この年豊作
昭和18(1943)
1月 神野新田産業組合は豊橋農業会神野新田支所として発足
3月 圓龍寺梵鐘供出
4月 神野新田土地株式会社重役総改選、社長に2代金之助、三郎は相談役
5月 2日 神野新田50周年祝賀式挙行
12月 10日 神富殖産商号を神富興業と変更
12月 農村電化設備三郷部落に完成
この年、太平洋戦争のため神野新田への肥料の需給困難となる
昭和19(1944)
2月 神野三郎、東八町10番地の2へ移転
2月 神野金之助二十三回忌法要を圓龍寺で執行
5月 田植時期降雨なく、労力、肥料不足甚だしい
12月 7日 東海地震で堤防に大被害あり、3号堤2ケ所、4号堤2ケ所、5号堤2ケ所が最も甚だしく、空襲下
身命を賭けて応急修理を行う
12月 震災後空襲頻繁となる
神野新田出征者多く女子老人まで勤労奉仕に駆り出され営農極度に困難
農村の電化進み脱穀・籾摺も電動機に変わる
畜力助走のため並木植え普及
この年神野新田の農村電化設備全く成る
昭和20(1945)
1月 三河地震、余震のため小屋掛けにて生活する
5月 富田重助十三回忌法要、圓龍寺で営む
6月 9日 豊橋地方大空襲で一夜で焼け野原、新田内罹家屋12戸
8月 15日 終戦
12月 9日 GHQ「農地改革に関する覚書」発表
昭和21(1946)
2月 8日 神野新田土地株式会社は、耕地650町歩を農地改革法による自作農創設のため開放を発表
2月 23日 神野新田自作農創設第1回準備委員会開く
3月 5日 日本政府はGHQに対し土地制度改革の強化等回答
4月 3日 神野新田土地会社は648町9反2畝を神野新田農事実行組合に譲渡の土地売買仮協約書に調印
4月 15日 神野新田自作祭挙行、以後、毎年4月15日に改築報恩祭執行を決める
4月 16日 神野太郎、神富興業取締役に就任
5月 3日 神野三郎、神野新田実行君藍顧問に就任
5月 8日 神野新田土地会社は648町9反2畝を神野新田農事実行組合に譲渡の土地売買本協約書に調印
5月 8日 神野新田土地株式会社は耕地以外の養魚池・原野等220町歩の売買契約を神野新田農事実行
組合となす
5月 9日 対日理事会農地改革の強化を決議
5月 12日 神野新田自作農創設功労者の慰労会を催す
5月 25日 神富興業解散を決議
5月 中央金庫より自作農創設維持資金250万円借入れる
7月 10日 神野新田土地会社は譲渡手続完了、会社解散報告会を公会堂で行う
第90臨時議会で「自作農創設特別措置法案」「農地調整法中改正法案」成立
昭和22(1947)
10月 11日 神野三郎、神野新田土地相談役辞任書を提出
昭和19、20両年の地震による神野新田の復旧工事がようやく完了
二回新田に百馬力排水機設置
昭和23(1948)
2月 GHQ「農地改革の遂行を妨害する者に即時断乎たる措置を取るように」政府に指令
2月 神野金之助二十七回忌法要を圓龍寺で執行
神野新田農事実行組合自作農創設維持部を国立水産試験場跡→元長生病院跡→元神野新田土地
株式会社跡に移す
4月 神野新田土地農業協同組合設立(組合長、石部太之助)
4月 神野新田農業協同組合設立(組合長 判治清)
愛知県水産試験場神野新田分場閉鎖
五郷部落に百馬力の排水機設置
昭和24(1949)
国立水産試験場跡に新生牟呂中学校建設
富田重助十七回忌法要を圓龍寺で厳修
元神野新田土地株式会社事務所等建設物は土地会社より土地農協協同組合が購入
社会教育方にて三郷公会堂が三郷公民館と改称
昭和25(1950)
二回地区、耕地整理による、換地の認可あり
昭和19年以来の堤防災害復旧工事に努力
三郷畜、排水機設置機運高まる
昭和26(1951)
2月 二回地区登記完了
4月 10日 神野新田農地解放5周年、新田開拓60周年記念祝賀会を盛大に行う
9月 神野新田土建株式会社設立
9月 19日 神野新田土地改良区設立認可、二回の170町5反の地域で排水施設の維持管理を目的とし
昭和27(1952)
3月 五郷地区換区処分認可
6月 五郷地区登記完了
7月 三郷地区換区処分認可、直ちに登記事務敢行中
9月 圓龍寺梵鐘債鋳完成
10月 15日 圓龍寺梵鐘供養会挙行
11月 「神野新田」上梓、先人の辛苦を子孫に伝える
12月 12日 神野新田土地改良区理事長に橋本義一就任
12月 25日 神野新田土地農業協同組合は酒井正三郎、小出保治共著「神野新田」を発行
三郷樋門設置
昭和28(1953)
4月 15日 神野新田耕地整理換地処分登記完了祝賀式
9月 25日 13号台風により、伊勢湾・三河湾沿岸大被害、神野新田堤防欠壊し、三郷、二回畜浸水
昭和29(1954)
1月 豊橋西部土地改良区の設立認可
3月 8日 豊橋西部土地改良区の定款変更(神野新田全域に拡大)認可
4月 2日 神野三郎、牟呂用水土地改良区監事に就任
4月 8日 豊橋西部土地改良区理事長に河合陸郎就任
5月 28日 神野新田土地農業協同組合解散
7月 7日 神野新田報徳会発足
昭和31(1956)
10月 1日 神野三郎、藍綬褒章を受ける
昭和32(1957)
4月 14日 神野三郎頌徳碑除幕式
昭和33(1958)
5月 神野新田災害復旧事業完成祝賀会
11月 16日 神野りき、喜の字の祝の会食を行う
昭和34(1959)
10月 16日 吉田大橋完工、神野三郎夫妻ら渡り初めを行う
11月 3日 神野三郎、豊橋市名誉市民に推挙される
昭和35(1960)
3月 30日 前年の伊勢湾台風における水防活動で自警団は建設大臣より表彰される
7月 14日 豊橋西部土地改良区理事長に藤代藤一就任
昭和36(1961)
4月 30日 神野三郎、亡くなる(享年87歳)
5月 3日 豊橋別院で神野三郎葬儀
昭和37(1962)
5月 地方港湾三河港の港域指定、県管理となる
昭和38(1963)
海岸堤防工事完了し、明治以来続いた「堤防目塗」工事が不要となった