現代風に翻訳済み、表は書籍の画像を参照してください
▶ 耕地整理が必要な理由
・干潟なので土地の高低があり、水はけが悪い場所が多くあった
・西に向かってなだらかな傾斜になるよう地均しが必要であった
・極端に低い所は掘って養魚池とし、掘った土を低い田んぼの嵩上げに利用した
▶ 神野新田耕地整理状況
渥美郡牟呂吉田村
第一章 地区の位置、及び区域
本地区は渥美郡の西北隅に位置し梅田川の河口より豊川の河口に至る一帯の海面を埋め立てた新田である。
牟呂吉田村、及び高師村の2ヶ村に亘り、東は牟呂用水、及び明治新田、福久縞新田に接している。
東南は牟呂用水の支流を界して高師村右田に、隣は西は延長4千有余間の長堤防を隔てて風波常に強烈な渥美湾に臨み、総面積約1,100町歩の大きさを持つ大地区である。
第二章 土地の遠隔
渥美郡牟呂吉田村大字牟呂、同郡高師村大字磯辺と大崎の地先海面に突出した洲があり、明治20年に山口県の毛利祥久氏が該当地である1,100町歩の新田開墾の申請を内務省に出願し、同年12月に許可を得て、翌年4月15日に起工式を挙げた。
次に八名郡八名村より牟呂吉田村に達する用水路開墾の許可を受け工事に着手し以後幾多の天変地変と種々な困難とに遭遇したが、日夜一生懸命に働いた結果、23年5月をもってすべて工事が完成した。
しかし安心する間もなく24年の大震災に非常な被害をこうむり、翌年の25年の大暴風雨に、またもや多大な損害を受けたことで、ついに同氏は新田を売却することを決意し26年4月に至り神野金之助に譲渡をした。
譲渡を受けた神野金之助は同年6月に工事に着手し計画設計を周到に行い同年9月16と17日の両日において澪留を終了した。
以来、防囲工事はもちろん内部の工事に注意を注ぎ幾多の困難経て、多額の費用を投じ29年4月15日に至り新田の築工はようやく竣成した。
その後、用水路の改修、防囲、内部の改良工事を施し、同38年3月に至り新田全部を挙げて神野富田殖産会社の所有とし、鋭意改善を図り同42年に至り耕地整理施行計画を実施して今日に及んでいる。
第三章 地勢及土質
本地区は前記のように海面を埋立たものなので大体はほとんど平坦で均一で所により1/4,500から1/5,000の勾配を保ち、総てが全て望める平坦な新田だが、池、沼、汐留所等が散在し、未だ利用できない土地の割合が多くを占めている。
土質は全部が沖積層で砂質は壌土で耕土は10cmに止まり豊饒肥沃だが、将来は土地改良を行い耕転肥培の改善においては地味知力を増進して増収を得ることは敢えて難しいことではない土壌である。
第四章 地区の現況
第一期調理地区と第二期調理地区と多少異なるので、分けて説明する。
第一節 第一期調理地区現況
本地区は既に竣工しているので次に書いていることは調理前の状況である。
一、灌漑の状況
現在、用水は牟呂用水により灌漑し、その収入の状況、及び導水渠の位置は現在のままで
動かしてはならない所にあり、その引入量はほぼ的を得たものであったが、地区内の用水幹
線の位置は、あまり良くなく漏洩がひどいため幹線の末端に至るまでには、わずかに1,600
余間に対し少なくとも12時間以上を多く必要とした。
そうすると用水幹線の始まり部の付近は漏洩水のため過剰の用水となるのに反し、流末に
至るに従い水は十分にならない。
また、用水幹線に沿った一帯の土地は砂が混じった土で水の浸透が多く西北の低地は海面
よりわずかに低い高さしかないので常に湿潤の状態にあり高所で用水を必要とする時も低所
はなお停滞する水を心配するのが常である。
しかし幹線より分岐する支線はその位置が不適当だと各区割りに用水を送れず、迂回して
回り込んだ水でようやく灌漑したり、あるいは田越に灌漑する個所も少なくなかった。
二、排水の状況
地区は牟呂用水を界して右田に接するため全く隣接地と水理関係が無いが牟呂用水を伏越し
てくる悪水がある。
この悪水は流域面積40町歩にして、その他は地域内に降った雨水を排除する程度である。
悪水路は比較的完備しているため悪水の流れは良いが大量の雨が降った場合は、悪水を排除す
るための樋門の扉が開く時間が短くなるため低所一帯に浸水し収穫が著しく減少してしまう。
したがって夏の小潮の時期には、台風や夕立等で収穫が皆無になる被害を被るヶ所は少ない
と安心してはならず、総ての土地で低湿地の滞水は容易に排出ができないと理解せよ。
三、交通運搬の状況
主要な道路は地区の中央を北東より南西に貫通するものと用水幹線にそうものの2條あり、
その他耕地内に60間四方の大区割の周囲には3尺道路を付け用悪水路を併設してあるので一
見交通運搬の便利は問題が無いようだが、これらは皆幅員が狭く車両を通すことができず、
わずかに小舟で重荷を運搬するだけであった。
しかし大排水路は幅員を特に広めて船の便利を良くしたため運搬上に対する不便を補って
いた。
四、耕地地割の状況
地区内における各字は各一筆の平均面積は実に18町7反2畝22歩の広大なものがあるが、
一筆内において道路もしくは溝渠を以て囲んだ一区画とはいえその標準面積は一町2反の
大きなものなので耕作上多大の不便を感じていた。
第二節 第二期調理地区現況
一、灌漑の状況
本地区内総ての田地は牟呂用水により灌漑を受け、その取入れ口の状態、及び用水の大幹
線の位置は現在の状態において的を得て、引入水量は非常に豊富なため整理計画に基づいて
必要水量に比べ、なお2割以上の余裕があるが、 これに反して大幹線より左右に分岐する各
幹線の位置と配列は非常にその的を得てないため非常に不便を感じているだけでなく、漏水
も多く損失する水量も少なくなく、豊富な水源を持っているにもかかわらず下流は常に不足
を感じていた。
また、幹線より分岐する所の小支線はその位置が不適当で間隔が離れ過ぎていて、多くは
田越に用水を灌漑する不便な場所があるような状態で一方は用水過剰、他の一方は欠乏する
など、非常に不便な状態である。
二、排水の状況
当地区の悪水は2ヶ所において地区外より流入してくるものを除く以外に、全部が地域内
に降った雨水はことごとく長堤に設置してある自動水量調整門により渥美湾、二十間川、及
び柳生川に放流される。
地区外より流入してくる悪水の一つは地区の北境の牟呂用水を土管で伏越し、大字牟呂地
内において面積6町3反歩の流域を持ち、他の一つは明治新田、並びに地区内用水の大幹線
(神野用水)を木造樋管により伏越し、明治新田内において面積56町2反歩の流域を持つ2つ
になる。
そしてこの2悪水はいずれも長堤に沿った汐留(湛水池)において地区内の悪水と混ざり樋門
によって排除される。
汐留は地盤は既に底がへこんで排水が十分ではないが、耕地間の排水路は割合に良好な配
置と断面を持っているため樋門の扉が開く時間が非常に少ない割には疏水の効率が良い。
しかし二十間川理科流に沿った両岸一帯の土地約百数十町歩は周囲の耕地と比べ著しく低
窪であるために排水が非常に不良なのを免れず、干潮時でも十分の排水を見ることは無いこ
とをもって収穫は常に著しく減退し到底満足な生産を挙げることはできない状態である。
三、交通運搬の状況
主要な道路は東西に貫通し、5條が南北に通じるものの5條はいずれも幅員6尺~9尺で、そ
の他60間毎に東西、及び南北に通じる3尺の道を持つ。
また敷幅6尺の船通の水路が6條あるのをもって一見交通運搬の不便がないようだが地区内
面積に対しては、その数は未だ少ないばかりではなく、60間毎にある3尺の道は車両が通れ
ない。
また、3尺の道の多くは破壊しているので重荷は小舟で運搬するので日々に費やされる労働
時間は極めて多大である。
四、耕地地割の状況
地区内における各字は各一筆にして、その平均面積は実に12町9反3畝24歩の広大であるが
一筆内において道路もしくは溝渠で囲まれた一区画であっても、なおその標準面積は1町2反
歩の大きさを持ち、これを数人の小作者によって耕作しつつ灌漑、排水、その他施肥、耕転
に至るまでは到底の一定の管理はできない。
現在の農法においては課題に失敗する危険性がある。
第五章 整理の目的並びに計画
前述のように現在はほとんど耕地整理が完了したように感じるが、計画書の海面埋め立てでは用悪水路の関係を研究することなく実施したので年々莫大な浚渫非が必要となった。
特に塩分の減少は容易ではなく悪水の停滞がひどいため、作物の被害が少なくないので水利関係を改善し、道路の改廃区割りを更生することを目的とし、盛土のために掘り起こして田として使えない土地は養魚場に利用すれば従来受けつつある不利不便を取除き、大いに土地の利用が増進できるので、ついに決意して新田全部の面積を2期に分け耕地整理の施工計画とした。
第六章 整理施行
第1期計画として表(1)が示すように高師村大字磯辺、大崎、牟呂吉田村大字牟呂に接する通称二回新田の面積179町余歩を金55,000余円の予算にて明治42年より着手し大正元年9月に竣工し、第2期工事の面積823町歩余は第1区(5号新田の面積159町8反歩余)、第2区(3号新田の面積66359町3反歩余)に分け、表(2)に示すように金75,800余円の予算にて大正元年より着手し大正3年度末に第1区工事を完了する予定である。
第七章 予算及決算
(1)第1期調理区域経費収支決算書
*** 表は書籍の画像参照 ***
(2)第2期調理区域経費収支決算書
*** 表は書籍の画像参照 ***
第八章 整理後の成績
第一節 荒地道路池沼堤塘溝渠を減じて養魚池を得たり
*** 表は書籍の画像参照 ***
第二節 大いに生産を増加せり
*** 表は書籍の画像参照 ***
第三節 水利の便を得たり
整理前は悪水の停滞がひどくたちまちの大雨に遭えば収穫皆無の惨状となる状況だった。
これに反して日照りに際しては用水が不足する等の不便が少なくなかったが整理後はこれらの欠点を改善し、灌漑水と共に思うがまま調整ができるようになった。
第四節 牛馬耕が次第に行われる
当新田内は従来は幾分の傾斜があり、降雨後は悪水停滞のため牛馬、及び機械力を使えず、ほとんど人工耕転だけであったが、整理竣工後は次第に牛馬による耕作が行なわれ、大正元年10月現在の牛馬の頭数は牛124頭、馬14頭に達し、年々増加の形態となっている。
引用元
タイトル 農村的優良事業の方法成績 神野新田に関する記事 76~87頁
著者 豊橋市農会 編 『神野新田耕地整理状況』
出版者 鈴木開二 書籍へのリンク
出版年月日 大正4(1915年) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954466/173?viewMode=